芸術・趣味 | TamLab 授業のおもちゃ箱 https://tamlab.fc2.page 情報系科目の講義資料とツールを公開 Sat, 16 Nov 2024 07:50:01 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.7.2 縦スクロール漫画の制作の基礎がわかる本 https://tamlab.fc2.page/category-books/2488/ https://tamlab.fc2.page/category-books/2488/#respond Fri, 15 Nov 2024 10:19:00 +0000 https://tamlab.fc2.page/?p=2488 パク ヨンジョ/著,金 智恵/訳:縦スクロール漫画制作の基礎がわかる本,翔泳社(2024)

縦スクロール漫画のテクニックはPPT教材に使えるか?

ということを考えていたので,図書館の新刊コーナーで見つけて,思わず借りてしまいました。

PPT教材に使えるのか,ということに関する結論からいうと

  • 縦スクロール漫画(ウェブトゥーン)はPPTのスライドショーと構造的に類似点が多い
  • しかし,ストーリーの提示を目的としている漫画のテクニックは,数学や工学のトピックの理解を目的としているスライドショーにはダイレクトに適用できないだろう

と感じました。そもそも目的がエンターテインメントと教材とでは異なっているので,当然といえば当然なのです。

エンターテインメント関連の技法書としては?

なかなか,いいのでは?

しかし,教材作製から離れて,エンターテインメント関連の技法書として読むと,以下に挙げる点でよくできていると感じました。

  • 漫画や映画さらにアニメなど「絵・動画とテキスト・音声で構成されるエンターテインメント向け媒体」を制作する上での,基本的な内容が解説されている
  • 解説はシステマチックで,図版も多い
  • 指示は具体的

本書で紹介されている技法や制作プロセスは,ウェブトゥーンだけに限定されいません。従来の漫画やアニメだけでなくテキストのみの小説などにも応用できる,基本的かつ一般化できる理論や技法がたくさん紹介されています。

説明の仕方はちょっと理屈っぽいと感じる人はいるかもしれません。しかし理屈だけではなく,どのようにすればよいかも具体的に説明されています。漫画の創作に関する本なので当然なのでしょうが,図版は多いです。ほとんどの項目の説明に図が添えられています。

以上のようなことから,この本自体が初心者向けの教材を作るときの「お手本」にもとなると感じました。

私は漫画制作に関する技法書を詳しく読んだことがありません。ですから本書が,これからウェブトゥーンや従来の二次元構成の漫画を描こうと考えている人に役に立つかどうかは,判断できません。でも,私にとっては,知らない,あるいは聞いたことはあるけれど意味のわからなかった用語が基本から解説されています。あまり期待しないで手に取った本なのですが,読んで得した気持ちになりました。

ウェブトゥーンとPPTスライドショーの比較は別稿に・・・

ウェブトゥーンとPPTスライドショーの違いについても書こうと考えていたのですが,まとめようとすると長くなりそうなので,別稿にすることにしました。その目的で描いた図のバリエーションの1つが下です。

図1 ウェブトゥーン(縦スクロール漫画)は「縦読みの絵巻物

この投稿では,本書「縦スクロール漫画の制作の基礎がわかる本」の簡単な紹介だけに留めておきます。

目次と筆者紹介

本書の目次と筆者紹介はAmazonのサイトでも閲覧できますが,以下に示しておきましょう。

PART 1 スマートフォンに適したコンテンツ、縦スクロール漫画
PART 2 縦スクロール漫画で作るストーリーテリング
PART 3 縦スクロール漫画の創作・制作プロセス
PART 4 縦スクロール漫画の演出技法
PART 5 心理描写とシーンの演出

ストーリー作りから始まって,創作・制作プロセスや演出技法について詳しく書かれています。PART 2~PART 4のタイトルを見ると“縦スクロール漫画”に限定しているように感じられるかもしれません。でも,内容は従来型の二次元配置漫画やテキストのみの文芸作品にも応用可能だと思います。

本書の「はじめに」と奥付の紹介によると,パクの経歴は以下のようなものです。

小さいころから漫画を描くことが好きだった。大学ではコンピュータを専攻しIT企業に就職した。30代半ばに漫画に挑戦したいと考えて大学院に進学し漫画とアニメーションを専攻し,芸術学の修士と博士号を取得している。しかし,大学院では研究が目的であるため,ストーリーの作成や作画は独学で学ぶしかなかった。

その後,IT企業で働きながらウェブトゥーン作家としてデビューした。しかし,連載を始めた5つの作品は全て3か月で終了することを余儀なくされ,ちゃんとした作品を創りだし続けることの難しさを味わった。そこでスタジオチームを結成することにし,その結果,ウェブトゥーンの本格的な連載ができるようになった。現在のパクは,ウェブトゥーン作家兼プロデューサーとして活動し,大学などでの教育にも従事している。

<詳しく読む>

技法書マニア
私の学校での図画工作や美術の成績は惨憺たるものでした。それなのに,ちょこちょこ落書きするのは好きでした。そして,ある程度お小遣いが自由に使えるようになると,美術関係の技法書や,ちょっとお高い「デザインの現場」などの雑誌も購入して読んでいました。自分ではちゃんとした絵は描けないのに,どういう道具を使うのかとか,こういうイラストはどういう手順で描くのか,というツールや作製プロセスには興味があったのです。

<閉じる>

本書の「はじめに」に,

最初に私が経験した困難を振り返り,縦スクロール漫画制作の入口だと思われるネーム(絵コンテ)の演出を基本に,作品創作初期に難しさを感じている作家志望者の方々や,縦スクロール漫画作品を初めて制作する作家の皆さんのために構想に至った本書が,縦スクロール漫画の制作に少しでもお役に立てればと願っています。(p.004)

と書かれていることから,作家志望者など初心者を対象とする入門的な内容であることがわかります。

感想

印象に残ったところを挙げていきます。

ストーリーテリング

本書のPART 1でウェブトゥーン(本書内では“縦スクロール漫画”と呼んでいる)の特徴が紹介されていて,PART 2からが本格的な内容になります。その始まりのPART 2で述べられているのがストーリーテリングなので,これが,まず押さえておくべき大事なポイントであることがわかります。PART 2の冒頭で,

ストーリーは,時間の流れの通りに羅列された物語のこと。

ストーリーテリングは,物語を構成し効果的にテーマを伝える方法のこと。(p.030)

のように,ストーリーテリングの定義を与えて,それに続いて,ストーリーテリング化に必要な要素や劇的な構造の創り方について説明があります。私は,この部分がとても面白いと思いました。このような分野の知識がほとんど無いこともありますし,講義や研究発表の資料を作るときは,いつも「この内容をどういうストーリーで伝えようか」と考えていたからです。

演出技法

PART 4,PART 5では様々な演出技法について説明されています。紹介されているものの多くは,映画の演出技法を基にしているようです。コマが二次元に配置された従来の漫画でも,映画の演出技法の影響を受けている(と何かで読んだ覚えが・・・)ようです。

コマの配置が上下の一次元配置であるウェブトゥーンは,従来の漫画と異なり視線の左右・上下の移動というリテラシー(読みのスキル)は不要になります。その分,視線の移動がさほど要求されない映画で使われている演出技法との馴染みが,より強いのだと思います。

気になったところ

気になったところもあります。本書の記述は「システマチック(体系的)だ」と書きました。筆者のパクがIT技術者を経て大学院で博士号まで取った研究者だったということが関係しているのだろうと思います。理屈っぽい印象を受けるのもそのためでしょう。(研究者・学者は,名前を付けたり分類したり一般化したり法則を見つけたり,理屈をつけようとするのが習い性なので仕方ないのです。)

しかし,その理屈の基になる根拠が示されていないことが多いのです。例えば,PART 4の「左右・上下の視線の流れで作る感情表現」の項で,左から右への視線の流れや右側の空間は未来を意味する,逆に右から左への視線の流れや左側の空間は過去を連想させる,と述べられています。しかし,その根拠は示されていません。

左→右の方向が未来を意味するというのは,横書きで左から文字を並べていく欧米の習慣に基づいていると考えられます。時間変動を表すグラフなどでも,時間の進む方向は左→右の向きです。「右肩上がり」などという表現は,これを前提としています。

しかし,伝統的な日本や中国の書物では,縦書きで,行は右から並べていくので,時間の流れは右から左へとなっています。図1に示した絵巻物なんかもそうです。したがって,本書で述べられている“時間軸は左から右へ”に基づく技法が人間に元々備わっている性質に由来し全世界の人に通用できるかどうかは疑問,です。

同様のことは他にもあると思います。でも,本書は初心者向けのものです。一々,根拠や出典を示していたら,とても読めない本になってしまいます。それに,読んでいて「あれ? ここはどうしてだろう・・・。」と疑問に感じさせたり考えさせたりる部分が含まれていることも,教材として大事な点だと思います。

本書は,索引がついていて,そこも教材として高く評価できる点です。例えば「あ行」を見ると,「アイリスショット」,「アイレベルショット」,「憧れ」,「アポカリプス」,「歩く死骸症候群」・・・と続いています。全く知らない,あるいは何となく意味はわかるけれど説明できない言葉が結構含まれています。(あ行に挙げられている15個の用語だと,全く知らないが7個,何となくわかるが説明できないが2個でした。) 

このような,知らなかったことについて,わかりやすく(正しいかどうかは別にして)書いてあるので,読んで知識欲を満たせる本でした。もちろん,本当に役に立てるためには,手元に置いて何度も読み返す必要があると思います。

私の知識欲が満たされたからといって,ウェブトゥーン作家を目指す人の役に立つかどうかはわかりません。この本を繰り返し読んで,理屈を理解し一般法則を見出し,それを適用したとします。作成プロセスでの苦労は減るかもしれません。でも,面白い作品ができることが保証されるわけではないことも確かでしょうね。

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PowerpointとiSpring Suiteでweb漫画を作れるか? https://tamlab.fc2.page/category-books/category-books-art/2329/ https://tamlab.fc2.page/category-books/category-books-art/2329/#respond Tue, 23 Jul 2024 00:25:50 +0000 https://tamlab.fc2.page/?p=2329 突然なのですが、PowerpointとアドインソフトiSring Suiteを使ってweb漫画を作れるか? について試してみました。

iSpring SuiteはPowerpointでeラーニング教材を作るためのソフトウェア製品です(iSpring社のサイト )。私はこれを主に工学部の学生さん向けの教材作りに使ってきました。

どうして教材作りのためのソフトウェアでweb漫画を描こうなんて思ったのか。その説明をしなければなりません。でもその前に、せっかちな方のために結論から申し上げると、

  • PowerpointとiSpring Suiteの現在の仕様では不十分
    元々スライドショーによるプレゼンを目的とした製品なので、web漫画用には向いていないところがある。また、iSpring Suiteには正確に変換できないPowerpointアプリの効果があることもわかった。
  • 漫画・イラスト・絵本などの新しいメディアとしての可能性
    絵(グラフィックス)と文章、セリフ(“吹き出し”)などを組み合わせた作品の閲覧や配布の方式としては可能性がありそう。

結果を早く見たいかたは、以下のリンクをクリックしてください。別タブで表示されます。画面内でのマウスクリックまたは下向き矢印でコマ送りされます。詳しいことは、投稿の後ろの方で説明します。

<サンプル(通常版)>   

<サンプル(オーバーレイ版)>

そもそも教材と漫画では設計思想がだいぶ異なります。実際、私が作ってきた教材は漫画のようなアナログで芸術性も求められるものとは対極のものです。グラフィックスもデジタルで作っているし、内容は技術系のものばかりです。

ですから、「どうして唐突に漫画の話になったのか」が気になると思います。

発端

友人の佐川俊彦に手紙を出したのは今年(2024年)の6月の末のことです。佐川とは小中高と同窓でした(佐川の御父君の転勤のため空白期間はありますが)。

<注を読む>

「読書日記」のどこかの投稿にも書いたと思いますが、このwebサイトの投稿では、ちゃんとした書籍の著者や研究者・学者の氏名には敬称をつけません。それが敬意を表すことになるからです。

研究者、学者、クリエイター(気取った呼び方ですが)でも何でも、その個人を独立したプロとして認めている場合は敬称をつけないのです。少なくとも理科系の学問ではそうなっています。“アインシュタインの相対性理論”であって、“アインシュタイン先生の相対性理論”などとは呼びませんよね。〇〇教授の研究室に院生□□君がいたとします。公の場では、〇〇教授は「□□の提案した方法」、□□君は「〇〇らの提案によれば・・・」のように発言します。文科系の学問ではどうなのかはわかりませんが。

もっとも、佐川とは会えばタメグチで話す仲です(めったに会ったり話したりしないのですが)。敬称を略しても、互いに何てことはないのです。

<注を閉じる>

佐川は、長らく漫画編集者として働いていて、Juneという雑誌を立ち上げたことで知られています。現在は京都精華大学マンガ学部の教授です。(先日、図書館に行ったら、週刊文春のコラムにインタビュー記事が掲載されていた。7月4日号?。)

その彼に手紙を出さなければならない用事があり、その後、電話とメールでのやりとりが続きました。

そのさい、幾つか質問をしたのです。

  • イラストを引用するとき気を付けるべき著作権の問題
    在籍中は教育目的の利用だったので著作権の問題はそれほど気にしていなかった。このwebサイトではイラストを引用することがあるが、「記憶スケッチ」をしたり模写も一部のみに留めたりするなど、気を使っている。
  • web漫画の「縦スクロール」ってどうなの?
    ここで「縦スクロール」とはスワイプによりページ単位ではなく1コマ単位で縦に閲覧していくウェブトゥーン(Webtoon)のこと。スマホの縦長の画面に適しているらしいのでスライドショー教材に利用できるかしらと興味を持った。
  • 漫画業界でのAIの利用について
    昨今は、どうしても、この話題が出てくる。

やはり何でもその道のプロに聞いてみるもので、いろいろ面白いことがわかりました。「著作権の問題」、「AIと漫画」については別の機会にゆずることにします。二つめの質問「web漫画の切り替え方式」に関してお話していきます。

本題に入る前に、「導入」として2コマ漫画の例を示しましょう。

「世界で一番短い推理漫画」(ヤじるし) 書いた当時は鉛筆描き 筒井康隆並びに青山豪昌に負うところ多し

これは、今をさかのぼること二十数年前に私が描いた2コマ漫画を、記憶を基に再現したものです。当時小学生だった子供が、宿題かなにかの課題で提出しなければならない、でも描けない何とかしてくれ、と泣きついてきたのです。提出の日の朝に。

それで、出勤を15分ほど遅らせて描きました。「これは原案だからね。後は自分で何とかしなさい。」と言って鉛筆で描きました。コマ数も4つなんて描けないので2コマにしました。その後、色くらいは本人が塗ったのかもしれませんが、ほぼそのまま提出したようです。

<詳しく読む>

1コマ目の人物は、1994年連載開始の推理漫画の主人公だということはわかるでしょう。ストーリーというかプロット(2コマ漫画にそんなものあるのか?)の方は、どうでしょうか? セリフは、筒井康隆のショートショートにあった「世界一短い推理小説」(題名は間違っているかも)を借りてきました。筒井康隆の意図を活かすのなら、2コマ目だけを使った1コマ漫画にすべきなのです。でも課題が「複数コマの漫画を描く」だったので1コマ目を加えたのだと思います。

というわけで「キャラクターもセリフも他人の作品のパクりじゃないか」と言われれば、その通りです。気持ちは「本歌ほんか取り」なんですけどね。

<閉じる>

この例でもわかるように、通常の漫画は複数の「コマ」で構成されており、それが一度に画像として表示されています。新聞の4コマ漫画では4コマ全部が提示され、複数のページにまたがることはありません。雑誌の場合は、1つのページが複数のコマに分割されていて、それが複数のページにわたって提示されます。

漫画のリテラシー

上に述べたように一度に目に入ってくる複数のコマを、読者は1つ1つ順番に読んでいきます。新聞などの4コマ漫画の場合は、上から下へという順になります。

4コマ漫画のコマの並びは1次元です。ほとんどの人は上から順番に読んでいくと思います。(もちろん生まれて初めて4コマ漫画を読む人、赤ちゃんとか、がどんな順番で読むかは、調べてみないとわかりませんが。)

一方、漫画雑誌の場合は2次元つまり縦と横に拡がった配置になります。そして、日本の漫画雑誌の場合は、右から左、上から下という順にコマを読んでいきます。

<詳しく読む>

実際の読み手の眼や頭の動きは、もっと複雑なことをしているのかもしれません(既に誰かが調べているかもしれません)。読み手はあるコマを見ていると同時に、前後の(あるいはページ全体の)コマに描かれている情報も利用している可能性があります。また、コマの間の「つながり」を周辺視覚から得ているかもしれません。複雑になってしまうので、この辺りのことには深くつっこまないことにします。

<閉じる>

実はこのような読み方が公式(?)なのだ、ということを今回調べて初めて知りました、そんなことを教えてもらったことはありませんし、親や友人・先輩が読み方を教えてくれたという記憶もないです。でも当たり前のように漫画は読めています。たぶん日本にいるほとんどの人は意識しないで漫画を読んでいるでしょう(例外はあるみたいです)。しかし、このような漫画の「読み方のリテラシー」は万国共通ではないようです。

以下は佐川から電話で聞いた話の、web漫画に関する部分の要点です。

  • 漫画が読めない人がいる
    京都精華大学の彼の研究室には中国や韓国からの留学生が在籍しています。その中には、雑誌の漫画が読めない人がいて、例えば大きいコマから先に読んでしまう、というのです。欧米の雑誌は左から右の順なので、日本の漫画を海外で出版するときは版を左右反転するということは知っていました。しかし、コマを読み取れない人がいるということは意外でした。
  • 絵本
    そのせいかどうかわからないけれど、現在、中国や韓国で絵本に興味を持つ若い人が増えているそうです。ほとんどの絵本は1ページまたは見開き2ページで1枚の絵になっているので、コマの読みとりの問題はなくなります。
  • 縦スクロールのweb漫画
    佐川によると「縦スクロールのweb漫画の出現の背景には、簡単で安易な方に流れる傾向がある」ということです。縦スクロール方式では、スマートフォンの画面に一コマの画像が表示されていて、縦方向のスワイプで上下にスクロールします。これなら、コマの配置は一次元つまり一方向になり、二次元配置の場合の読者の読みとりリテラシーは不要になります。要は「読むのが楽」ということになります。
    今後、漫画の新しい閲覧や配信の技術が出てくるとして、それは読者の「認知的コスト」や「認知的負荷」を小さくする方向、つまり楽な方向に進んでいく。その結果、印刷された漫画の単行本や雑誌は読まれなくなっていくだろう・・・というのが佐川の意見です。

漫画のコマの読みとりリテラシーがあること、リテラシーの無い人でも読めるように工夫されているのがウェブトゥーン(Webtoon)に代表される縦スクロールのスマホ漫画であり、漫画業界もその影響を受けていくだろう、ということです。

縦スクロールの漫画を閲覧してみたら

Androidスマホを使って、縦スクロールの漫画(ウェブトゥーン)を閲覧してみました。ほんの1,2の例だけです。私が気が付いたことをまとめると以下のようになります。

  • コマとコマの間に余裕を持たせている
    たぶん、1つのコマを閲覧しているときに上下のコマが画面に入らないようにするためだろう。
  • 上下のコマの情報もある程度把握できる
    とは言え、コマとコマの間隔はあまり広くはなっていないので、上下のコマの情報が把握できる。読み終わった上のコマや、次にくる下のコマを目に入れた状態で画面の切り替えが可能になる。
  • 背景
    セリフの“吹き出し”がコマからはみ出している作品があった。また、別の作品ではコマとコマの間の背景にあたる部分に紙の表面のような模様(テキスチャ)がつけられていた。個人的には、これらの演出により、コマとコマのつながりやスクロールの“流れの速さ”を実感できるように感じた。また、縦方向のスクロールはスワイプの動作に比例したアナログな動きになっている。

以上のように、コマからコマへの移動や注目は楽にできると同時に、漫画全体の流れも意識できるように工夫されているようです。これは、元々複数のコマを同時に見せていた紙の漫画を、アナログ感を残してデジタル化したことから来るのだと思います。1枚1枚の静止画を切替えながら見せるスライドショーをルーツに持つPowerpointとの違いでしょう。

他にもいろいろと工夫がされているところがあるだろうと思います。私は上に紹介したような演出が印象に残りました。「部分に注目させると同時に全体の流れも意識させる」ための工夫はPowerpointを使ったプレゼンでも重要になるからです。

PowerpointとiSpringでweb漫画を作ってみる

私は冒頭で例に挙げた「世界一短い推理漫画」しか描いた経験がありません。誰かに原画を作ってもらうのでは時間がかかるし「棒人間」でごまかすのは面白くありません。自分でやってみると得られるものがあるかもしれないというので作ってみました。線画を作る処理に興味があったので、3DCGを基にします。手順は以下のとおりです。

ⅰ)原画を用意する
 3DCGソフトのDAZ Studioでキャラクターにポーズを取らせて画像を生成。これを画像処理ソフトのGimpで加工。

ⅱ)Powerpointのスライドショーを作る
 画像をスライドに貼り付け、吹き出しなどを付ける。2枚目以降のスライドの「画面切替え」を“プッシュ”にしておく。これは、スライド切替えのときに上から下へのスクロールのような効果を持たせるため。複数の吹き出しが同時に表示される版と、オーバーレイ方式で追加されていく版2つを作成した。

ⅲ)iSpring SuiteでHTML5変換 
 <PowerpointとiSpring Suiteでweb教材を作る>に紹介した方法でPlayerの設定をする。さらに、Playback and Navigationの設定に移り、矢印キーでスライド切替えができるように設定する。

ⅳ)webサイトにアップロード
 WordPressのプラグイン(Insert or Embed Articulate Content into WordPress)を使った。

結果について

作った「web4コマ漫画モドキ」を以下に示します。この投稿の冒頭で示したものと同じですが、ページ内のウインドウに表示されます。通常版は、1コマ分が一度に表示されます。一方、「オーバーレイ版」では、吹き出しが発言の順に現れ、コマが切り替えられるまでその場に残っています。次の吹き出しが現れると同時に消すというやり方も可能ですが、試してはいません。

サンプル(通常版)

サンプル(オーバーレイ版) 吹き出し発話順に出現していきます

結論は冒頭でまとめた通りです。補足します。

1)PowerpointとiSpring Suiteの現在の仕様では不十分
 問題と思われる点は以下のとおりです。

  • 画面切り替え
    前後(上下)のコマのつながりを意識させた画面切り替えが難しい。今回、スライド切替えの効果を“プッシュ”にすることで、縦スクロールのような雰囲気を持たせようとしているが、十分とは言えない。
  • スクロール
    画面を自由にスクロールできない。このため、複数のコマが同時に提示される漫画の「アナログ感」が乏しい。
  • 効果イフェクトを再現できないことがある
    Powerpointの効果をiSpring Suiteのスライドショー変換で再現できないことがある。今回わかったのはスライド切替え効果の“プッシュ”で、スライド前進のときは問題ないが後退のときにPowerpointアプリとは異なる挙動になる。他にも変換できない効果があるかもしれない。iSpring社のサポート担当に問い合わせてみるつもり。

2)新しいメディアとしての可能性
 絵、吹き出し、文章などを組み合わせた静止画をコマ単位で見せるだけでなく、これらの要素を出現・消滅や動きなどの効果を付けて表示できます。ウェブトゥーンではアニメーションを組み込んだ作品もあるそうですが、Powerpointでもアニメーションを組み込むことはできます。そのような作品はもはや「漫画」とは言えないものになるかもしれませんが、漫画から派生した新しい表現媒体になる可能性はあります。

今回は、プレゼンでよく使う「オーバーレイ方式」を吹き出しの表示に試してみました。でも余計なお世話という印象も持ちました。「漫画のリテラシーを身に付けさせる教材」に使えるかもしれませんが、そんなのいらない! と言われそうです。

3)その他
 今回注目したスライド切替えやスクロールとは別に、気が付いたことがあります。キャラクターは、手描きではなく3DCGソフトのDAZ Studioで作成したフォトリアルな画像を「漫画風」に加工して描きました。しかし、諧調が残っているので細部に注意が向いてしまい、漫画として読むときに邪魔に感じます。

実際、フォトリアルな画像に吹き出しを付けた作品がありますが、細部に注意が向くためなのか読みにくいと感じます。

漫画の、濃淡情報を省いた線画は、手抜きのために採用されたものかもしれませんが、結果としてセリフやストーリーを邪魔しない表現になっているのかもしれません。家電製品の取り扱い説明書でも、写真ではなくイラストを使った方が理解しやすいと言われています。このことは、スライドショーのデザインで一番大事だと思うポイント「注目させたい情報を制限する」と共通しています。

※画像の一部を変更しました(2024/07/29) 肌の塗りや髪の諧調を減らしています。個人的には変更後の方が好みです。

結局、ウェブトゥーンってどうなの?

ウェブトゥーンに関しては、漫画表現が縦長ディスプレイを持つスマホに合わせて変化して出てきたものです。なので靴に足を合わせるような無理な感じを受けてしまいます。視野が狭い縦長の世界に閉じ込められるようです。

一方、それは私が古い漫画のリテラシーしか持っていないから感じるものかもしれません。ウェブトゥーンの市場は拡大しつつあるようで漫画業界にとっては無視できない分野になりそうです。印刷技術などのハードウェアがコンテンツの創造や鑑賞のありかたに影響を与えることは、これまでも繰り返されてきました。web漫画の流れがどんな方向に向かっていくかは興味があります。

さて、今回の試みによって教材作成について何か得るところはあったのか?です。これは別の機会に譲りたいです(今回はそんなのばっかり・・・)。

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「まだまだかわいそうが足りないぞ」 弱者の残酷な復讐 [One of my favorite sayings.] https://tamlab.fc2.page/category-books/2033/ https://tamlab.fc2.page/category-books/2033/#respond Mon, 01 Jul 2024 10:24:04 +0000 https://tamlab.fc2.page/?p=2033 金田鬼一:完訳 グリム童話集 2 岩波文庫,「犬と雀」岩波書店(2017) より

原文(ドイツ語)は以下で読むことができます。

Der Hund und der Sperling https://www.grimmstories.com/de/grimm_maerchen/der_hund_und_der_sperling

一度は言ってみたいセリフ」・「私の好きな言葉」シリーズの第2回です。

Otto Ubbelohdeによる挿絵

毒を含んだ因果応報譚

まだまだかわいそうが足りないぞ」は,ドイツ語の原文では”Noch nicht arm genug.”,英語だと,”Not yet poor enough.”でしょうか。相棒の犬を殺された雀が仇である馬方うまかたに対して言い放つ言葉です。その前の馬方のセリフ「やれやれ、おれもかわいそうなおとこだなあ」(”Ach, ich armer Mann!” )に対して雀がこの言葉を言い返す場面が6回繰り返されます。おとぎ話でよく使われる「同じセリフや出来事の繰り返し」が効果的です。

馬方は,相手が弱いと見て侮り,雀の友達である犬を轢き殺してしまいます。そこから,雀の復讐が始まります。雀は弱く,馬方に対して直接暴力をふるうことはしません。しかし,狡猾に素早く立ち回り,時には多数の仲間を呼び寄せて襲い掛かります。「まだまだかわいそうが・・・」が繰り返されるたびに、馬方は積み荷の葡萄酒、馬、・・・と次々に財産を失い、追い詰められていきます。

財産をすべて失った馬方は最後に命まで無くします。しかし、彼の財産や命を奪ったのは直接には雀ではなく、馬方自身の持つ暴力装置(ここでは馬方の妻や馬方自身がふるう棍棒)によってなのです。

このおとぎ話は、

  • 弱い者を侮ってないがしろにすると,とんでもない目に合う
  • 人を滅ぼすのは自分自身が頼っている武器によってだ

ということ教えてくれます。でも、そんなお行儀のよい「教訓」より「まだまだかわいそうが足りないぞ」の持つ強烈な毒が強い印象として残ります。

こういうセリフに惹かれるのは、私も心の中にその毒を持っている弱い者だという意識があるからでしょう。「まだまだかわいそうが足りないぞ」と言ってやりたい、そういう境遇に陥って欲しいような人たちが世の中にはいっぱいいるような気がします。

また、もしこのような事件が現在の世で起きたら、SNSには「そんなところに寝ていた犬が悪い。ひき殺されたけど、それは自己責任だ。」「荷物を速く運ぶことのもたらす経済効果社会全体の利益の前には、老いぼれた犬や雀の都合などは無視しても良い」という投稿があふれそうです。でも、こういう意見を持つ人たちは、自分が轢き殺される立場になるかもしれないことは想像もしないのかもしれません。

と、エラソーに書きました。でも、何よりも、自分が「まだまだかわいそうが足りないぞ」と言われる羽目になるような行動はしないように、気を付けないといけないのでしょうね。

日常生活では以下のように使っています

「パワハラをして辞職した〇〇氏が逮捕されました。(TVのニュース)」→『まだまだかわいそうが足りないぞ!』(これは、本来の「正しい使い方」ですね)

「大変! 大した雨でないと思って窓開けっぱなしにしていたら、机の上に雨が吹きこんじゃった」「うわ、これはひどい 『まだまだかわいそうが足りないぞ』」「あはははは」(本来の用法からはずれてます。)

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読めない本 https://tamlab.fc2.page/category-books/category-books-art/2086/ https://tamlab.fc2.page/category-books/category-books-art/2086/#respond Mon, 20 Nov 2023 10:30:39 +0000 https://tamlab.fc2.page/?p=2086 ヒューゴ・メルシエ∥著,高橋 洋∥訳:人は簡単には騙されない:噓と信用の認知科学,青土社(2021/03)

初めに言い訳・・・

暑さによる体調不良で,夏の間は何もできないまま過ごし,気が付いたら11月も半ば過ぎてしまいました。夏バテに加えて,慢性の腰痛持ちだったのがひどくなってパソコンの前に座っていられなくなりました。

電子回路の不具合やソフトのバグなら,幾つかの原因を仮定し,1つずつ条件をコントロールして動作を確認していく,というやり方で原因をつかめます。しかし,自分の身体となると,そんな悠長なことは言ってられなくて,とりあえず良さそうなことは全部やってみました。腰痛コルセット,ピップエレキバン,漢方薬,ビタミン剤,・・・などなどを試し,どれが効いたかは不明なのですが,やっと座れるところまで回復してきました。結局,「自然治癒力」,「日にちぐすり」が一番効いたのかもしれません。

というわけで,ずっと何もできないでおりました。行動記録を兼ねている「読書日記」も全く更新できませんでした。

でも何か書かないでいると,どんどん書くことができなくなっていきそうです。実際,書けなくなっているし,ソフトウェアのコーディングもどんどん忘れていきます。で,リハビリということで書き始めましたが,今回のお題が,情けない事に,「読めない本」です。

読めない本

読めない本が増えたのは図書館で本を借りて読むようになってからです。せっかく来たんだからと貸し出し上限の冊数まで借りるので,性が合わない本も借りてしまうからでしょう。でも単なる老化現象で難しい本が読めなくなっているだけかもしれません。

今回,紹介するのは読めない本の1冊です。この本を手にとったのは「人間はなぜ,あることを信じてしまうのか?」ということに昔から興味があったからです。同じ事実に接しても,全く相反する意見を持つのは何故か? なぜ宇宙人やUFOなど真偽の確認のしようのないことを信じる人がいるのか?(あるいは,信じないのか?),そして,それはどのような心の働きでそうなるのか?が知りたいのです。

一方,科学的な知識(例えば進化論や相対性理論)は,直観に反しているうえに一般の人には確認が難しいのです。にもかかわらず,(例外はあるものの)広く受け入れられているようです。それはなぜなのか。科学的知識が受け入れられている状況を安定して保つことは大事だと考えています。というのは,現在,大きな問題になっているパンデミックや薬害,気候温暖化などに適切に対応するためには,専門家ではない多くの人たちが科学的な知識や考え方を知っていることが重要になると思うからです。

また,私は技術に関する知識やスキルを伝えることでお給料をいただいていたので,勢いそういうことに興味を持つことになったのでしょう。

この本には,上のような興味に関連する考察が多く述べられています。でも,あまりにも文章が読みにくくて,読み進めることがなかなかできませんでした。 

ですから,この投稿では本書の詳しい内容の紹介はしません。詐欺師はどれくらい成功するのか? プロパガンダは本当に効果があるのか? 陰謀論を信じる人はなぜ信じるのか・・・などに興味がある方は読んでみる価値はあると思います。

さて,この本,(私には)わかりにくい文章が連続します。例えば次のような文章があります。

直観的に言えば、コストのかかるシグナルが機能するにあたって重要なのは、信頼に足るシグナルを送る人によってコストが支払われる点にある。(p.50)

直観的に言えば」とありますが,直観的には何を言ってるかわからない文章です。

「コストのかかるシグナル」とは「何かを伝えるための,手間ひまかけた行動」のことだろうと思います。「信頼に足るシグナルを送る人」というのは「“信頼に足るシグナル”を送る人」なのか「信頼に足る“シグナルを送る人”」なのかが判然としません。後者だとして解釈すると。この文章は,

手間ひまかけて伝えようとしたことが伝わるためには,伝えようとする人が信頼に足る人であることが大事です。

と言っていることになります(この書き換えた文章もわかりにくく,間違っているかもしれませんが)。そうであるなら,そのように書けばよいのに・・・。ひょっとしたら元の英語の文章で読んだ方がわかるかもしれません。本全体を通して,ずーっとこんな文章が続きます。

研究室の学生と英語の論文の読み合わせをすることがありました。技術系の,それも私の専門とする分野のものなので,数式の理解などは別にして,文章は不自由なく読めます。ところが,あるとき学生がweb検索の高速化に関する論文を選んできました。この論文は一読しても意味が取れなかったのです。特に難しい単語を使っているわけではないのですが,微妙に意味が異なっているためなのか,とにかく意味が頭に全く入ってこないのです。

このことは,読めない理由のかなりの部分は,読み手(つまり私の)予備知識の有る無しによるところが大きいことがわかります。

でも,それだけではないようです。本書「人は簡単には騙されない・・・」は,心理学や生物学の用語を使っているとはいえ,和訳で読んでいるので決してなじみのない意味のとれない単語があるわけではないのです。

次の文章は,筆者が「わかりにくい文章」の例を挙げている段落です。長いけれど引用します。

文章がわかりにくくなればなるほと、それたけ理解しようとする読み手の努力が必要になる。その結果、他のあらゆる条件が等しければ、不明瞭さはその文章を読み手にとって自己関連性の薄いものにする。一例をあげよう。「エアバッグが膨張するような衝撃が生じたとき、エアバッグの膨張装置は、過度の内的圧力が生じるような様態で作動する。その結果、膨張装置のケーシングが破裂して、金属片がエアバッグを突き抜け車内に飛び出してくる可能性がある。」(p.300)

和訳の文章が,硬めの熟語を使った,もったいぶった書き方になっています。これがわかりにくさの原因の1つでしょう。前半の「文章がわかりにくくなればなるほど,・・・自己関連性の薄いものにする。」は「わかりにくい文章は自分とは関係の薄いものとして受け取られる。」ということです。この主張は本書の中で複数の箇所で出てくる重要な考え方です。それが「わかりにくい表現」で訳されているのは皮肉です。

さて,この段落の後半で分かりにくい文章の例として挙げられている「エアバッグが・・・可能性がある。」も,もったいぶった表現ですが私には明瞭に理解できます。これはたぶん内容が技術的なものだからでしょう。このことからも,文章がわかりにくいかどうかは読み手の持っている知識や経験にも関係していることがわかります。(ですから,この本を読みにくと感じる理由は,私に知的な問題があるためで,心理学や認知科学の本を読んでいる読者なら楽に理解できるはず,という可能性は多いにあるります。)

好意的に解釈するなら,本書には,筆者の言うところの「反省的(reflective)な思考」を必要とする文章が多いためかもしれません。「反省的な思考」を必要とする表現の例としては次のようなものが挙げられています。

バットとボールの値段は合わせて1.1ドルである。バットはボールより1.00ドル高い。ではボールの値段はいくらか?」 

この問いかけに対しては普通の人は直観的には正しい解答が出せません。こういう計算に慣れていない人にとっては,ちょっと立ち止まって考えないと誤った答え(例えば「ボールは0.1ドル」)を導いてしまいます。このような「立ち止まって考える」ことを読者に要求する文章が続くと,確かに読みにくくなるでしょう。

なお,「反省的」という言葉は,心理学や教育学で使われている用語のようですが,一般の読者にはわかりにくいと感じます。どうしても漢字の熟語で書きたかったら「内省的」とか「熟考」などと訳した方が良いかもしれません。

伝わらない言葉で得をする人たち

いわゆる「人文社会系」の方達が書く文章に関して,私は昔から1つの疑惑というか仮説を持っています。それは「この人たちは必要以上にわかりにくい文章を書くことで何らかの利益を得ているのではないか」ということです。難しい文章で書くことのメリットは,次のようなのではいかと考えています。

  • 大した内容ではないが,難しい文章で書くと有難みが増す
    逆に,わかりやすい文章で書くと誰でも導き出せる内容だと軽んじられるかもしれない。身もふたもないが,これが一番ありそうだと考えている。
  • 難しい文章で書くと,訳のわからない人たちに絡まれない
    自分たちの学問的コミュニティに「知的レベルの低い」人が入ってきたり,論争をしかけられたりせずに済むかもしれない。多少,好意的な仮説。
  • 難しい言葉でないと伝わらないこともある
    これは高名な評論家の方の発言。一番,好意的に解釈するとこうなる。

もちろん,学問的な厳密さを求めると,どうしても回りくどい,わかりにくい文章になることはあります。わかりやすい文章だけで書いた論説は,ひっかかりがなく,読んだあと何も残らないかもしれません。読者にある程度「反省的な思考」を強いる文章が混ざっていた方が,深い内容が伝わる,ということはあるかもしれません。

特に,直観に反する結論が導き出される場合は,読者はどこかで反省的な思考をすることになります。ですから全く反省的思考を要しない文章だけで内容を伝えるのは難しいでしょう。

でも,人文系の書籍の論説のかなりの割合のものが,有難みを増し部外者が口を出さないようにするために,難しい文章にしているのではないかと見ています。文系で特に目立つと思うのですが,理科系・技術系の場合も同じことが言えます。

技術系の場合,伝えたいことが伝わらなかったら事故につながるし,作れるものも作れなくなります。実験科学の分野でも,論文を読んだ人が実験を追試するためには,再現性が大事なので,わかりやすい文章が求められます。とはいえ,一般の読者には知られていない業界特有の用語(ジャーゴン)をちりばめたりして書き手を実際より大きく見せることはよくありそうです。私の投稿だって,そのきらいはあると思います。

本書には,理解しにくい文章を書くことが大きな利益になった(と筆者が考える)例が幾つか挙げられていて,その最も成功した人物としてフランスの哲学者・精神科医のジャック・ラカンを挙げています。(あくまでも筆者のヒューゴ・メルシエの意見ですよ。)例として紹介されているラカンの文章は,以下のようなものです。

端的に言えば、自然の特異性は一つでなく、ゆえに論理的プロセスが持ち出せるようなものではない。自分が何か、つまり名づけられることからそれ自身を識別する何かに興味を持っているという単なる事実から自分が除外するものと自然を呼ぶプロセスによって、自然はそれ自体が非自然の混合であると認める以外のいかなるリスクも冒さない。(p.282)

端的に言って難解な文章です。この段落の文章だけでは全く理解できません。一部だけ切り出して批判しないで欲しい,前後の段落(あるいは書籍全部を)読めば理解できる,と主張されるかもしれません。そうだとしても,これだけ「論理的プロセスを持ち出せない」文章にはなかなかお目にかかれません。

 最終章から読むとよいかも

本書で主張されている内容を手っ取り早く理解したかったら,最終章(第16章 人は簡単には騙されない)から先に読むとよいと思います。本書全体の流れを頭に入れることができるからです。

この章の最後に,現在,世界で起きている様々な問題である,陰謀論の拡がり,党派の間,専門家と一般人の間の分断などに対して何ができるかについてヒントになる文章があります。

科学的理論は、そのほとんどが深く直観に反するにもかかわらず、社会のほとんどの階層に浸透している。しかも科学者を個人的に知っている人はほとんどおらず、相対性理論や自然選択による進化の理論などの科学的理論を真に理解している人となるとさらに少ない。直観に反する科学的な見方の広範な浸透は、科学的な営為が依拠している、欠陥はあるにせよ堅実な信用の基盤に支えられているのだ。(p.346)

この「信用の基盤」は,データの統計的処理,多様な被験者の確保,実験の数を増やす,利害関係の影響を避ける,後付けの正当化を避けるための仮説をたてる,などで保護され強化できると著者は述べています。それに加えて,他の研究者が検証できるような論文の公開,独立した研究グループによる追実験,研究の過程や成果の透明性を確保することなども必要だと思います。

このように築かれた信用の基盤により,一般市民と科学的な知識は結び付いている,しかし,この結びつきは直接的ではなく,複数のコミュニケーションのリンクによってつながっていて,その連鎖は弱い,と筆者は言っています。本書の最後の段落を引用しておきましょう。

人を説得するためには,すでに確立され長年維持されてきた信用,専門知識に裏づけられた見解の明確な表明,そして堅実な議論が必要とされる。正確ではありながらメディアなどの機関は、苦戦を強いられざるを得ない。信用と議論で構成される長い連鎖に沿ってメッセージを発し続け、その信頼性を保っていかねばならないからだ。奇跡的にもこの長い連鎖は、私たちを最新の科学的発見や地球の反対側で起こったできごとに結びつけてくれる。私は、この脆弱な連鎖を強化し拡張していく新たな手段が見つかることを切に望んでいる(p.346)

私も「連鎖を強化し拡張していく新たな手段」として何が使えるのか大いに興味があります。そして,その中で使われる文章は,わかりやすく工夫されたものであってほしいと考えています。

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「どけ 俺がやる」 敷島博士の狂気 [One of my favorite sayings.] https://tamlab.fc2.page/category-books/category-books-art/1980/ https://tamlab.fc2.page/category-books/category-books-art/1980/#respond Sun, 20 Aug 2023 15:00:00 +0000 https://tamlab.fc2.page/?p=1980 横山光輝:鉄人28号 第1巻,小学館(2017) より (「鉄人28号」連載開始は1956年)

これまで読んだ物語の中から「一度は言ってみたいセリフ」や「好きな言葉」を紹介していきます。

その第1回です。でも,のっけからタイトルにしたセリフ「どけ 俺がやる」は作品では使われていなかったものでした。

私が間違って覚えていたのです。ごめんなさい。読み直してみたら正しくは,

どけ わしがやる

でした。「」ではなく「わし」なんですね。

p.57より「記憶スケッチ」した

マッドサイエンティストのかがみ

このセリフは,レギュラーの登場人物,敷島博士のものです。そのシーンで敷島は旧日本軍の秘密兵器開発のリーダーを務める科学者です。日本に不利になっていた戦況を逆転する可能性のあるロボット兵器「鉄人」の開発を進め,完成まであと一歩のところまでこぎつけます。

ロボットの起動には非常に高い電圧をかける必要があるらしく,敷島の指示を受けた研究所のメンバーは徐々に印加電圧を上げていきます。しかし,一向に起動する気配を見せないことにいらだった敷島が「もっと電圧を上げろ!」と部下に指示します。「これ以上は危険です」という部下を押しのけ,敷島は自らレバーを操作し電圧を最大まで引き上げます。

このときのセリフなのです。

このセリフの直後に,ロボットは煙を吹き出しはじめ,ついには大爆発を起こしてしまいます。

アニメ版や後期のコミック版では常識を備えた父親的な立場の人物として描かれている敷島です。しかし,初期タイプの敷島は,見事な「マッドサイエンティスト」っぷりを見せています。髪型もワイルドです。

なお,「もっと電圧を上げろこれ以上は危険です→でも 電圧を上げる 大爆発 というパターンはマッドサイエンティストものではお約束の展開のように思います。「鉄人28号」が最初ではないはずなので,元ネタがあるなら知りたいです。

私も在職中は温厚な教員の役割をつとめてきた(つもり)なのですが,もっと自分の興味を優先して暴走しても良かったのかなと感じています。(いや,十分暴走していた,と言われるかもしれませんが。)

「どけ わしがやる」と叫んだときの敷島は20代後半から30代前半の年齢に見えます。部下の研究員にはもっと年配の人も描かれています。若い優秀なリーダーだったのでしょう。

30代くらいの年齢という印象があるので,一人称に「わし」ではなく「」を使っていたはずと思い込んでしまったのでしょう。昭和30年代の物語の世界では,30代の男性は今の時代の60代70代の人のようなしゃべり方をしていたのかもしれません。

起動には高電圧が必要だった

このシーンを見返すと,起動のためにハードウェアを爆発させるほどの高電圧を必要とするシステムってなんなんだよ,と突っ込みたくなります。ロボットの起動に高電圧を必要とするという描写は手塚治虫の「鉄腕アトム」にも見られます。

おそらくこれは,横山も手塚もロボットを単なる機械ではない生命の宿った存在として描いていたからだろうと推察しています。

横山が鉄人28号は映画の「ゴーレム」(1915)を参考にしたと語っている記事を読んだことがあります。この作品の「笛で操られる巨大な人型の怪物」というコンセプトが基になっているのだと思います。また,映画版「フランケンシュタイン」(1934,ボリス・カーロフ主演)の影響があるという記事もあります。映画版のフランケンシュタインの怪物は,雷によって発生された高電圧により生命を吹き込まれます。

「フランケンシュタイン」では,神ならぬ人間が生命(しかも知的な)を創造する,というキリスト教の倫理では大いに問題のある行為を描いています。ですから,常軌を逸脱した強大なエネルギーを使ういう演出が必要になったのでしょう。人の作ったテクノロジーでは生命創造には至れず,神の意志であり人為を越えた自然の力の象徴である雷の力を借りることで怪物は誕生します。

「鉄人28号」は,人間が科学の力で生み出した創造物により破滅する,という「フランケンシュタイン・テーマ」の流れも汲んだ作品と考えられます。実際,物語の中ではフランケンシュタイン・テーマに沿ったエピソードが複数見られます。さらに,28号の前に造られたという設定の27号のデザインは,首の両側にボルトのような突起物がある点などボリス・カーロフ版の「フランケンシュタインの怪物」にならったものになっています。(なお,敷島達が爆発させてしまったロボットは「28号」と呼ばれていますが,外観はこの27号と同じです。)

いも悪いもリモコンしだい」の機械として描かれている鉄人も,読者の共感を得るためには,生命や意識を感じさせる必要があったのかもしれません。

兵器としての鉄人

とは言え,鉄人は「兵器」であり「機械」であることが強調されています。鉄人28号は,開発開始から15年を経て完成し,雷の高電圧を使って起動されます。登場人物の一人が「人間の作れないような何千万ボルトもの高圧電気」が必要だったのだろうと語っています。雷の電圧は数千万ボルトから一億ボルトに達するということです。我々が発生できる電圧の上限は数百万ボルトらしいので,それよりずっと高いことになります。

物語世界では鉄人はあくまでも兵器として作られた機械という扱いになっていることは,この登場人物の言葉からも裏付けられます。生命創造というおどろおどろしい印象は背後に隠れ,雷を使ったのは,あくまでも技術的な理由からであると説明されています。

また,これも良く知られている話ですが,横山が28という数字をアメリカ軍の爆撃機B29の「29」から採ったいう説があります。横山は圧倒的な技術力と容赦のない物理的暴力の象徴と感じていたB29のイメージを鉄人28号に投影していたのでしょう。

「SF考証」してみよう

起動の際の高電圧は鉄人に意識や生命を感じさせるためのギミックだという仮説は一旦置いて,「SF考証」の真似事まねごとをしてみましょう。SF考証というのは,物語世界の中で描かれている現象や技術に対して「つじつま」のあう説明を試みるという,まあ「お遊び」ですね。

テーマは,「なぜ高電圧を必要としたのか?」です。高電圧を印加することでシステムは非可逆的な変化をしているようなのですが,その変化とは,いったい何なのでしょうか?

記憶装置への書き込み?

通常運転における電源電圧より高い電圧を必要とする例としては,半導体LSI内部の不揮発性メモリにプログラムや設定データを書き込む動作があります。電源電圧5Vに対して,12Vとか24Vを必要としていたこともあります。フローティングゲートに電荷を注入するために高い電圧が必要なのです。物語世界のロボットがどのような記憶装置を使っていたのかは語られていません。しかし,数千万ボルトを必要とする書き込み動作というのは無理のある設定です。

動力源?

もう少しもっともらしいのは,雷の電力や高電圧をロボットの動力源として利用した,という解釈です。物語の中で鉄人の動力源や力を発生する機構(アクチュエータ)については全く触れられていません。内燃機関や原子炉による発電装置を使っているようではありません。給油や充電しているシーンもありません。一回のエネルギーチャージで相当の期間動き続けたようです。

落雷の電力は一般家庭の消費電力の数か月分という試算があります。物語世界では避雷針から取り込んだ雷の電力を蓄え取り出すことのできる効率のよいシステムが開発されていた,と解釈してはどうでしょうか。あるいは内蔵された高効率の蓄電用素材(例えば常温常圧超伝導体)を機能させるために極めて高い電圧が必要だった,とかです。

もちろん,そのような技術は現代の私たちも持っていません。しかし物語の世界では「高電圧と高電流を使うことで高効率の電力の蓄積と取り出しを可能にする技術」があった,とすれば,説明は可能です。

なお,以上のような考証を作者の横山はしていない,というか意識して避けています。鉄人の寸法や重量に関しても,同じような態度です。SF作品としてのリアリティは損なわれるかもしれません。でも,エネルギーの問題も大きさも重さも,作者のそのときの気分次第です。物語の描写の自由度は高くなります。

スモークテスト

試作したハードウェアやソフトウェアを始めて起動して,基本的な動作確認をすることを「スモークテスト(smoke testing)」と呼ぶようです。電子工学や電気工学でのスモークテストやパワーオン・テストという用語は、開発中の回路を初めて電源に接続することを指します。

私が在職中に扱った回路のほとんどは,電源電圧5Vとか±12Vといった弱電回路でした。例外として静電型スピーカ用に400Vの直流電源を作ったことが一回あります。それらの経験の中で,本当に煙が出るスモークテストになってしまったことは1,2回くらいで,電源投入時に煙が出たケースはありませんでした。煙が出たときは,回路チェックのため接続したプローブのピンのグランドの配線を間違ったことが原因でした。この煙は,ほとんどの場合,発熱した抵抗器のコーティングの燃焼によるようで,独特の臭いがします。

実装した回路に初めて電源を投入するスモークテストの際は緊張します。ICの電源ピンへの接続間違いや,出力端子のショートなどがあると部品は破損する可能性が高いからです。電源についている電流計の値に注意しながら,慎重に行います。開発リーダーとしてのプレッシャーがあったとはいえ,敷島の行動は軽率だったと言えるでしょう。

レバーが気になる

ところで,敷島が操作した電圧制御レバーは,押し下げるほど高い電圧が発生するようになっています。ですから,図(記憶スケッチで描いたものです)に示すように,敷島はレバーを目いっぱい押し下げています。これは敷島の感情の高ぶりと腕を振り下ろす動作が一致しているので,漫画の表現としてはアリなのかもしれません。

しかし,制御レバーの設計としてはどうなの?と,細かいところが気になってしまいます。電圧を上げるときは,レバーも上げるように設計しておくのが適切なのではないかと思います。さらに,レバーを下げるほど電圧が高くなる設計では,地震や外部からの攻撃によりレバーの上に人や物が倒れ掛かったときに,高電圧が発生しっぱなしになり,非常に危険です。(レバー水栓の規格は,1997年1月の阪神淡路大震災が契機になって,レバーを上げたときに開く「上げ吐水」に統一されたそうです。)

敷島は自分の邸宅内に研究開発環境を整備しています(うらやましい!)。敷島には操作用のレバーの設計を是非見直して欲しいです。

禁じられた言葉

「どけ俺 がやる」にあこがれてしまうのは,この言葉に私の中のマッドサイエンティストが反応しているためでしょう。(“マッド”がついてはいますが,自分を“サイエンティスト”と呼ぶのは,何だか厚かましいかなあという気もしますが。)

でも,この言葉は,教育者の立場としては口にしてはいけない言葉です。結果が成功でも失敗でも,部下たちから,自分で判断し結果を受け止めるという経験のチャンスを奪ってしまうことになるからです。

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川瀬巴水を見に行く https://tamlab.fc2.page/category-books/category-books-art/1096/ https://tamlab.fc2.page/category-books/category-books-art/1096/#respond Sat, 11 Feb 2023 02:49:36 +0000 https://tamlab.fc2.page/?p=1096 岩切信一郎(監修):川瀬巴水 旅と郷愁の風景,ステップ・イースト(2022)

本書は,展覧会の図録として購入したものです。川瀬巴水の展覧会が秋田市で開催されるというので,一泊二日,二人連れの旅になりました。

川瀬巴水(1883-1957)の名前を知ったのは,イラストレータのマテウシュ・ウルバノヴィチの作品集を立ち読みしたときです。「新版画」という浮世絵の復興を目指した木版画の第一人者として知られているそうです。図書館で別冊太陽の川瀬巴水特集号を借りたりして,これは好きだね,となりました。

新版画も版画なので,作品は絵師,彫師,摺師の分業で作られます。摺りを何度か繰り返すのですが,その度数が多いです。江戸時代の浮世絵だと15回から20回の摺りが多いそうです。本書のp.214に摺りの工程を順を追って紹介していて,これによると約30回の摺りを経ているそうです。また,浮世絵と同じように1つの作品が複数枚流通することになります。これが1作品1枚で流通される普通の絵画とは異なるところです。

このような制作の方法や流通の形式の影響でしょうか。作品から受ける印象は,油絵や水彩画の作品よりも,印刷して大量に流通される現代のイラストに近いものを感じます。輪郭線が明確で色使いが鮮やかである点で,そのような印象を受けるのかもしれません。

輪郭線が明確になるのは,彫りで線を作るため,あまり細くはできないからでしょう。摺りの位置合わせの精度も関係してくると思います。色使いも,絵の具の再現性の影響を受けるので,油絵や水彩画よりもバリエーションの範囲は狭くなるかもしれません。

一方,新版画以前の版画である浮世絵に比べると,摺りの度数を増やすことでグラデーションのダイナミックレンジが広くなっているようです。摺りを重ねて最終的な絵を作っていく工程は,主線を描き,色塗りをし,幾つかのレイヤーを重ねていく・・・というデジタル・イラストの作成過程を思わせます。(私は,プレゼンテーションや講義資料用の作図はよくしますが,イラストは経験がないのです。)

版画やイラストあるいは漫画のように,大量の作品を流通させる場合は,表現者と鑑賞者の間に「大量生産するためのテクノロジー」が介在してきます。そのテクノロジーが,どんなふうに表現の手法や表現者の感性に影響を与えるかということには興味があります。

さて展覧会のことです。会場は1回入場券を購入すると,その日は出入り自由になっていました。一日目は二回入場し,次の日も一回入場しました。

展覧会に二人で行ったときのお約束の遊びが「作品を一つだけもらえるなら何がいい?」です。価格や資産価格とか考えず純粋に欲しいどうかで決めます。「この作品をもらえるかもしれない」という設定にすると,結構真剣に遊べます。

今回は,1つに絞るのが難しくして,3点までとしました。図録で見直しても絞り切れません。「小樽之波止場」,「尾道の朝」,「京都知恩院」かなあ。摺りの工程の紹介で使われていた「野火止平林寺」も捨てがたい。

川瀬巴水の作品は,そのほとんどが風景画です。風景の中に必ず人が居るか,窓の灯りがともっている建物だったり船だったり,生活している人の気配が感じられます。例外は,秋田市の空巣沼からすぬまの風景や,秋田の八郎潟を描いた作品くらいでした。

展覧会の他には,せっかく秋田市に出かけたので,千秋公園を散歩し,駅前の書店(ジュンク堂)をのぞきました。今住んでいる県に引っ越したときは,書店事情は秋田市よりずっと上だったのです。それが今では完全に負けているではないか。八文字屋さん,もっと根性だしてください,と思いました。

帰ってきてから図録で見直すと,会場で見るのと受ける色の感じがずいぶ違います。会場の照明や印刷の方法が関係することはよく言われますが,絵の寸法の違いは,どうでしょうか。仮にデジタル表示にして会場と同じRGB値で鑑賞できたとしても,大きさが違うと色の印象は違ってくるのかもしれません。

<言い訳を読む>

「読書日記」なんて分類にしていますが,本を紹介する順番は実際にその本を読んだ時系列順になっていません。(しょっぱなの投稿から書名もわからない立ち読みの内容の紹介なのですが。)

サイトの本来の目的である講義資料の整備は一向に進んでいません。読んだ本の紹介なら,あまり間をおかずに投稿できて,サイトが生きてることを示せると考えたのですが,全然ダメです。本はいっぱいあるからネタには困らないはずですが,文章が書けません。新聞や週刊誌の書評欄などを見ると,週一で原稿を書き続けている筆者がいて,文筆のプロってすごいと思います。

これからも,思いついた順に本の紹介をしていくことになります。

<閉じる>

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