岩切信一郎(監修):川瀬巴水 旅と郷愁の風景,ステップ・イースト(2022)
本書は,展覧会の図録として購入したものです。川瀬巴水の展覧会が秋田市で開催されるというので,一泊二日,二人連れの旅になりました。
川瀬巴水(1883-1957)の名前を知ったのは,イラストレータのマテウシュ・ウルバノヴィチの作品集を立ち読みしたときです。「新版画」という浮世絵の復興を目指した木版画の第一人者として知られているそうです。図書館で別冊太陽の川瀬巴水特集号を借りたりして,これは好きだね,となりました。
新版画も版画なので,作品は絵師,彫師,摺師の分業で作られます。摺りを何度か繰り返すのですが,その度数が多いです。江戸時代の浮世絵だと15回から20回の摺りが多いそうです。本書のp.214に摺りの工程を順を追って紹介していて,これによると約30回の摺りを経ているそうです。また,浮世絵と同じように1つの作品が複数枚流通することになります。これが1作品1枚で流通される普通の絵画とは異なるところです。
このような制作の方法や流通の形式の影響でしょうか。作品から受ける印象は,油絵や水彩画の作品よりも,印刷して大量に流通される現代のイラストに近いものを感じます。輪郭線が明確で色使いが鮮やかである点で,そのような印象を受けるのかもしれません。
輪郭線が明確になるのは,彫りで線を作るため,あまり細くはできないからでしょう。摺りの位置合わせの精度も関係してくると思います。色使いも,絵の具の再現性の影響を受けるので,油絵や水彩画よりもバリエーションの範囲は狭くなるかもしれません。
一方,新版画以前の版画である浮世絵に比べると,摺りの度数を増やすことでグラデーションのダイナミックレンジが広くなっているようです。摺りを重ねて最終的な絵を作っていく工程は,主線を描き,色塗りをし,幾つかのレイヤーを重ねていく・・・というデジタル・イラストの作成過程を思わせます。(私は,プレゼンテーションや講義資料用の作図はよくしますが,イラストは経験がないのです。)
版画やイラストあるいは漫画のように,大量の作品を流通させる場合は,表現者と鑑賞者の間に「大量生産するためのテクノロジー」が介在してきます。そのテクノロジーが,どんなふうに表現の手法や表現者の感性に影響を与えるかということには興味があります。
さて展覧会のことです。会場は1回入場券を購入すると,その日は出入り自由になっていました。一日目は二回入場し,次の日も一回入場しました。
展覧会に二人で行ったときのお約束の遊びが「作品を一つだけもらえるなら何がいい?」です。価格や資産価格とか考えず純粋に欲しいどうかで決めます。「この作品をもらえるかもしれない」という設定にすると,結構真剣に遊べます。
今回は,1つに絞るのが難しくして,3点までとしました。図録で見直しても絞り切れません。「小樽之波止場」,「尾道の朝」,「京都知恩院」かなあ。摺りの工程の紹介で使われていた「野火止平林寺」も捨てがたい。
川瀬巴水の作品は,そのほとんどが風景画です。風景の中に必ず人が居るか,窓の灯りがともっている建物だったり船だったり,生活している人の気配が感じられます。例外は,秋田市の空巣沼の風景や,秋田の八郎潟を描いた作品くらいでした。
展覧会の他には,せっかく秋田市に出かけたので,千秋公園を散歩し,駅前の書店(ジュンク堂)をのぞきました。今住んでいる県に引っ越したときは,書店事情は秋田市よりずっと上だったのです。それが今では完全に負けているではないか。八文字屋さん,もっと根性だしてください,と思いました。
帰ってきてから図録で見直すと,会場で見るのと受ける色の感じがずいぶ違います。会場の照明や印刷の方法が関係することはよく言われますが,絵の寸法の違いは,どうでしょうか。仮にデジタル表示にして会場と同じRGB値で鑑賞できたとしても,大きさが違うと色の印象は違ってくるのかもしれません。
<言い訳を読む>
「読書日記」なんて分類にしていますが,本を紹介する順番は実際にその本を読んだ時系列順になっていません。(しょっぱなの投稿から書名もわからない立ち読みの内容の紹介なのですが。)
サイトの本来の目的である講義資料の整備は一向に進んでいません。読んだ本の紹介なら,あまり間をおかずに投稿できて,サイトが生きてることを示せると考えたのですが,全然ダメです。本はいっぱいあるからネタには困らないはずですが,文章が書けません。新聞や週刊誌の書評欄などを見ると,週一で原稿を書き続けている筆者がいて,文筆のプロってすごいと思います。
これからも,思いついた順に本の紹介をしていくことになります。
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