「どけ 俺がやる」 敷島博士の狂気 [One of my favorite sayings.]

科学技術

横山光輝:鉄人28号 第1巻,小学館(2017) より (「鉄人28号」連載開始は1956年)

これまで読んだ物語の中から「一度は言ってみたいセリフ」や「好きな言葉」を紹介していきます。

その第1回です。でも,のっけからタイトルにしたセリフ「どけ 俺がやる」は作品では使われていなかったものでした。

私が間違って覚えていたのです。ごめんなさい。読み直してみたら正しくは,

どけ わしがやる

でした。「」ではなく「わし」なんですね。

p.57より「記憶スケッチ」した

マッドサイエンティストのかがみ

このセリフは,レギュラーの登場人物,敷島博士のものです。そのシーンで敷島は旧日本軍の秘密兵器開発のリーダーを務める科学者です。日本に不利になっていた戦況を逆転する可能性のあるロボット兵器「鉄人」の開発を進め,完成まであと一歩のところまでこぎつけます。

ロボットの起動には非常に高い電圧をかける必要があるらしく,敷島の指示を受けた研究所のメンバーは徐々に印加電圧を上げていきます。しかし,一向に起動する気配を見せないことにいらだった敷島が「もっと電圧を上げろ!」と部下に指示します。「これ以上は危険です」という部下を押しのけ,敷島は自らレバーを操作し電圧を最大まで引き上げます。

このときのセリフなのです。

このセリフの直後に,ロボットは煙を吹き出しはじめ,ついには大爆発を起こしてしまいます。

アニメ版や後期のコミック版では常識を備えた父親的な立場の人物として描かれている敷島です。しかし,初期タイプの敷島は,見事な「マッドサイエンティスト」っぷりを見せています。髪型もワイルドです。

なお,「もっと電圧を上げろこれ以上は危険です→でも 電圧を上げる 大爆発 というパターンはマッドサイエンティストものではお約束の展開のように思います。「鉄人28号」が最初ではないはずなので,元ネタがあるなら知りたいです。

私も在職中は温厚な教員の役割をつとめてきた(つもり)なのですが,もっと自分の興味を優先して暴走しても良かったのかなと感じています。(いや,十分暴走していた,と言われるかもしれませんが。)

「どけ わしがやる」と叫んだときの敷島は20代後半から30代前半の年齢に見えます。部下の研究員にはもっと年配の人も描かれています。若い優秀なリーダーだったのでしょう。

30代くらいの年齢という印象があるので,一人称に「わし」ではなく「」を使っていたはずと思い込んでしまったのでしょう。昭和30年代の物語の世界では,30代の男性は今の時代の60代70代の人のようなしゃべり方をしていたのかもしれません。

起動には高電圧が必要だった

このシーンを見返すと,起動のためにハードウェアを爆発させるほどの高電圧を必要とするシステムってなんなんだよ,と突っ込みたくなります。ロボットの起動に高電圧を必要とするという描写は手塚治虫の「鉄腕アトム」にも見られます。

おそらくこれは,横山も手塚もロボットを単なる機械ではない生命の宿った存在として描いていたからだろうと推察しています。

横山が鉄人28号は映画の「ゴーレム」(1915)を参考にしたと語っている記事を読んだことがあります。この作品の「笛で操られる巨大な人型の怪物」というコンセプトが基になっているのだと思います。また,映画版「フランケンシュタイン」(1934,ボリス・カーロフ主演)の影響があるという記事もあります。映画版のフランケンシュタインの怪物は,雷によって発生された高電圧により生命を吹き込まれます。

「フランケンシュタイン」では,神ならぬ人間が生命(しかも知的な)を創造する,というキリスト教の倫理では大いに問題のある行為を描いています。ですから,常軌を逸脱した強大なエネルギーを使ういう演出が必要になったのでしょう。人の作ったテクノロジーでは生命創造には至れず,神の意志であり人為を越えた自然の力の象徴である雷の力を借りることで怪物は誕生します。

「鉄人28号」は,人間が科学の力で生み出した創造物により破滅する,という「フランケンシュタイン・テーマ」の流れも汲んだ作品と考えられます。実際,物語の中ではフランケンシュタイン・テーマに沿ったエピソードが複数見られます。さらに,28号の前に造られたという設定の27号のデザインは,首の両側にボルトのような突起物がある点などボリス・カーロフ版の「フランケンシュタインの怪物」にならったものになっています。(なお,敷島達が爆発させてしまったロボットは「28号」と呼ばれていますが,外観はこの27号と同じです。)

いも悪いもリモコンしだい」の機械として描かれている鉄人も,読者の共感を得るためには,生命や意識を感じさせる必要があったのかもしれません。

兵器としての鉄人

とは言え,鉄人は「兵器」であり「機械」であることが強調されています。鉄人28号は,開発開始から15年を経て完成し,雷の高電圧を使って起動されます。登場人物の一人が「人間の作れないような何千万ボルトもの高圧電気」が必要だったのだろうと語っています。雷の電圧は数千万ボルトから一億ボルトに達するということです。我々が発生できる電圧の上限は数百万ボルトらしいので,それよりずっと高いことになります。

物語世界では鉄人はあくまでも兵器として作られた機械という扱いになっていることは,この登場人物の言葉からも裏付けられます。生命創造というおどろおどろしい印象は背後に隠れ,雷を使ったのは,あくまでも技術的な理由からであると説明されています。

また,これも良く知られている話ですが,横山が28という数字をアメリカ軍の爆撃機B29の「29」から採ったいう説があります。横山は圧倒的な技術力と容赦のない物理的暴力の象徴と感じていたB29のイメージを鉄人28号に投影していたのでしょう。

「SF考証」してみよう

起動の際の高電圧は鉄人に意識や生命を感じさせるためのギミックだという仮説は一旦置いて,「SF考証」の真似事まねごとをしてみましょう。SF考証というのは,物語世界の中で描かれている現象や技術に対して「つじつま」のあう説明を試みるという,まあ「お遊び」ですね。

テーマは,「なぜ高電圧を必要としたのか?」です。高電圧を印加することでシステムは非可逆的な変化をしているようなのですが,その変化とは,いったい何なのでしょうか?

記憶装置への書き込み?

通常運転における電源電圧より高い電圧を必要とする例としては,半導体LSI内部の不揮発性メモリにプログラムや設定データを書き込む動作があります。電源電圧5Vに対して,12Vとか24Vを必要としていたこともあります。フローティングゲートに電荷を注入するために高い電圧が必要なのです。物語世界のロボットがどのような記憶装置を使っていたのかは語られていません。しかし,数千万ボルトを必要とする書き込み動作というのは無理のある設定です。

動力源?

もう少しもっともらしいのは,雷の電力や高電圧をロボットの動力源として利用した,という解釈です。物語の中で鉄人の動力源や力を発生する機構(アクチュエータ)については全く触れられていません。内燃機関や原子炉による発電装置を使っているようではありません。給油や充電しているシーンもありません。一回のエネルギーチャージで相当の期間動き続けたようです。

落雷の電力は一般家庭の消費電力の数か月分という試算があります。物語世界では避雷針から取り込んだ雷の電力を蓄え取り出すことのできる効率のよいシステムが開発されていた,と解釈してはどうでしょうか。あるいは内蔵された高効率の蓄電用素材(例えば常温常圧超伝導体)を機能させるために極めて高い電圧が必要だった,とかです。

もちろん,そのような技術は現代の私たちも持っていません。しかし物語の世界では「高電圧と高電流を使うことで高効率の電力の蓄積と取り出しを可能にする技術」があった,とすれば,説明は可能です。

なお,以上のような考証を作者の横山はしていない,というか意識して避けています。鉄人の寸法や重量に関しても,同じような態度です。SF作品としてのリアリティは損なわれるかもしれません。でも,エネルギーの問題も大きさも重さも,作者のそのときの気分次第です。物語の描写の自由度は高くなります。

スモークテスト

試作したハードウェアやソフトウェアを始めて起動して,基本的な動作確認をすることを「スモークテスト(smoke testing)」と呼ぶようです。電子工学や電気工学でのスモークテストやパワーオン・テストという用語は、開発中の回路を初めて電源に接続することを指します。

私が在職中に扱った回路のほとんどは,電源電圧5Vとか±12Vといった弱電回路でした。例外として静電型スピーカ用に400Vの直流電源を作ったことが一回あります。それらの経験の中で,本当に煙が出るスモークテストになってしまったことは1,2回くらいで,電源投入時に煙が出たケースはありませんでした。煙が出たときは,回路チェックのため接続したプローブのピンのグランドの配線を間違ったことが原因でした。この煙は,ほとんどの場合,発熱した抵抗器のコーティングの燃焼によるようで,独特の臭いがします。

実装した回路に初めて電源を投入するスモークテストの際は緊張します。ICの電源ピンへの接続間違いや,出力端子のショートなどがあると部品は破損する可能性が高いからです。電源についている電流計の値に注意しながら,慎重に行います。開発リーダーとしてのプレッシャーがあったとはいえ,敷島の行動は軽率だったと言えるでしょう。

レバーが気になる

ところで,敷島が操作した電圧制御レバーは,押し下げるほど高い電圧が発生するようになっています。ですから,図(記憶スケッチで描いたものです)に示すように,敷島はレバーを目いっぱい押し下げています。これは敷島の感情の高ぶりと腕を振り下ろす動作が一致しているので,漫画の表現としてはアリなのかもしれません。

しかし,制御レバーの設計としてはどうなの?と,細かいところが気になってしまいます。電圧を上げるときは,レバーも上げるように設計しておくのが適切なのではないかと思います。さらに,レバーを下げるほど電圧が高くなる設計では,地震や外部からの攻撃によりレバーの上に人や物が倒れ掛かったときに,高電圧が発生しっぱなしになり,非常に危険です。(レバー水栓の規格は,1997年1月の阪神淡路大震災が契機になって,レバーを上げたときに開く「上げ吐水」に統一されたそうです。)

敷島は自分の邸宅内に研究開発環境を整備しています(うらやましい!)。敷島には操作用のレバーの設計を是非見直して欲しいです。

禁じられた言葉

「どけ俺 がやる」にあこがれてしまうのは,この言葉に私の中のマッドサイエンティストが反応しているためでしょう。(“マッド”がついてはいますが,自分を“サイエンティスト”と呼ぶのは,何だか厚かましいかなあという気もしますが。)

でも,この言葉は,教育者の立場としては口にしてはいけない言葉です。結果が成功でも失敗でも,部下たちから,自分で判断し結果を受け止めるという経験のチャンスを奪ってしまうことになるからです。

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