安野光雅:安野光雅 自分の眼で見て、考える (KOKORO BOOKLET―のこす言葉),平凡社 (2019)
絵本作家で画家の安野光雅が書いた(文体からは「聞き書き」のように思えます)文章を集めた一冊です。安野光雅の絵本には,子供達が小さかったころ大変お世話になったし,講義の資料作成に関するちょっとした思い出もあります。(別の機会に紹介するかもしれません。)
この本の中に「インタレスト主義」と題する一文がおさめられています。複数の著書に書かれている話のようなので,目にした人は多いかもしれません。
三十八歳のとき安野はヨーロッパを旅行します。ある人から,パリに行くと何日かの十二時にシュベックという青年が必ず来るから会うようにと言われます。
来なかったらどうしようかと思いながら、正確に十二時にわたしは行ったんです。そうしたらちゃんとやって来て、初めて会ったシュベックは、オーストリア人のいい奴でした。昼食を食べながらしばらく話して、彼は勉強があるのでと別れた。ぼくが「学校に行くのは 大事なことだからね」と言うと、彼が去りかけたところをわざわざ戻ってきて言ったんです。「勉強をすることはインポータントではないんだよ、インタレストなんだよ」と。そう、勉強というのはインタレストなんだ、忘れられない言葉です。日本の教育制度のなかにそれはほとんどない、でも独学のなかにはある。自分で「やろう」と思うなら、それはインタレストなんです。 (p.51)
講義を受け持っていたとき,毎回,B5版の「質問用紙」を配り,その日の講義に関する質問や感想を記入してもらっていました。読んで,全部に赤ペンで回答やコメントを書き込みます。その中から,大事だ,あるいは面白いと思った質問や感想を選んで,回答とともにA4版2ページ程度にまとめ,次の回の講義の際に配布するようにしていました。
質問の中で目立っていたのは,「この科目は何の役に立ちますか?」,「この〇〇という手法は,社会に出てから何に使えますか?」という質問でした。
要するに「この科目や〇〇という手法は大事なのか知りたい」ということで,それ自体はしごくもっともな疑問です。それで,なるべく丁寧に具体例を挙げて真面目に回答するようにしてきました。
しかし,だんだんと「俺は,この学問を何かの役に立つとか,社会に出てから大事なものだからとかで学んできたのか?」という気がしてくるのを抑えることができなくなってくるのです。いや,もちろん,工学部の学問のほとんどは実学というやつで,何かを解決するための手段として学んだきたことは確かなのですが。
私自身は大学で学んでいたころは,いい意味で放っておかれ,興味の赴くままやってきました。(指導的立場の人たちは,ハラハラしながら見てくださっていたと思いますが。)
それなのに,教育と研究を職業としていた間に,学生の自分で「やろう」と思う“インタレスト”を伸ばすような環境を作れたかというと,はなはだ心もとないのです。
「質問用紙」の回答を公開した意図の一つは,そもそも疑問を持つことが興味の一歩であると考えたからです。そのような質問・疑問に対する回答の他,講義では触れられなかった,発展的で興味を持ちそうな話題を盛り込むようにしていました。
労の割に効果があったとは思えません。大学の講義では,“インタレスト”は,単位がとりやすいか,GPSやGPAを上げられるか,就職の役に立つか,などということで置き換えてしまいがちだからでしょう。
でも,あきらめきれない気がしている。今の立場で何ができることはないのか,と考えているところです。
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